ざまぁ系動画がやめられない

ざまぁ系動画を見てしまう自分が嫌です
朝、布団の中で目覚ましを止めたあと、私はYouTubeを開きます。
「不倫夫が慰謝料地獄に落ちる話」とか、「傲慢上司が痛い目を見る末路」ような動画ばかり見ています。
そういう動画を見ると、やっと動けます。誰かが痛い目を見ると安心します。
「人の不幸を喜ぶ私はクズ」「ネガティブでどうしょうもない」と分かっています。
でも、動画を見ないようにすると、朝起きる気力が出なかったり、仕事に行く前に、その手の動画をひとつ見てからじゃないと動けなくなってしまったりします。
こんな黒い自分を、どうしたらやめられるでしょうか? 自分が情けなくて苦しいです。

「ざまぁ」を欲しがる気持ちは、壊れた世界で秩序を探す祈りです
まず最初に言いたいのは、「ざまぁ系動画を見てスッキリする」のは、全然おかしくないってことです。
黒い感情の正体
人はあまりに理不尽な状況におかれると、「この世界にも、まだ秩序は残っている」と確認したくなります。
例えば
・虐待されて自分は苦しんでるのに、毒親は自身を愛情深いと自認していて話が通じない
・不倫した夫が謝りもしないで、今日ものうのうと私が作ったご飯を食べて寝る
・彼氏がモラハラなのに、外ヅラはいいから、辛さを訴えても周りが信じてくれない
・私を踏みにじった上司が善人ヅラで出世していくのを、ただ見ているしかできない
・「あの人も苦労してるのよ」と加害者が擁護され、被害者側が「いつまで過去に囚われてるの」と責められる


……こういうとき、人は
この世に正義なんてあるの?
と絶望します。
その絶望に耐えられなくなったときに、人は「ざまぁ系物語」、つまり、因果応報や自業自得ストーリーに救済を見いだすんです。
それは、壊れた世界の中で正気を保とうとする、あなたの切実な祈りとも呼べます。
なぜ、私たちは秩序を確認したがるのか
理不尽な目にあって、心のやり場が無いと、「努力してもムダなんだ」「今まで積み重ねた時間は何だったんだ」という思いがつのっていきます。
この世の不条理に圧倒されて、立ち向かえる力なんか、ちっぽけな自分には無いように思えてきます。
自分の「生きる力」が信じられない
でも、ざまぁ系の動画はそこを裏返してくれます。
「私一人が損をしたまま取り残されてるわけではないかもしれない」
――そう思える瞬間に、あなたの「世界」がちょっとだけ修復されます。
ですから、あなたが「ざまぁ」を欲するのは、「復讐がしたいから」というのも、無くは無いのかもしれませんが
本当に心にあるのは「秩序を信じたい祈り」なのです。
あなたの痛みを否定しない
そしてもうひとつ。
あなたが「ざまぁ系動画」を見ることは、世界に対して、「私が受けた痛みもちゃんと見えてる?」という、問いかけでもあります。
痛みを軽く見積もられて
「どこの家庭もトラブルの1つや2つあるよ」「浮気くらい受け入れるのがいい女だよ」「そうやって不満を漏らしてるようだからいけないんじゃない?」
とか言われると
この煮え湯を飲み干せない私が悪いって言うの?!
って気になるじゃないですか。するとだんだん、何が正しいか分からなくなって、自分の正気を信じられなくなってきます。
「ざまぁ系動画」を見て、この世に秩序があると確認する行為は
「私の痛みは無かったことにされていいものじゃないし、過小評価されるべきでもないし、ちゃんと真実だよ」って
自身に言い聞かせる行為です。
「踏み躙られた自尊心を守ろうとする最後の砦」だったり、「底辺まで下がった自己効力感の最後のセーフティーネット」だったりします。
よく「ネガティブな情報はいけない」とは言いますが、こんなに悲鳴をあげてる自分の声に、まず気づく必要がありますよね。
どうかご自分を責めないで下さい。
「復讐心」は、怒りの形をした、「安心な世界を求める、命の渇望」です。
「私の中に、まだ世界を信じたい気持ちがあるんだな」って、ご自分を肯定してあげて下さい。
本当に求めていたのは、誰の不幸でもない
あなたの回復に必要なのは、誰かが罰を受けることではありません。あなたの痛みが「確かにそこに存在しているんだ」と、受け入れられることです。
「あのとき私は、辛かった、悔しかった。それをちゃんと感じてた。ちゃんと頑張ってた」それを分かってもらえる世界を信じたかっただけです。
本当の癒しは、「この痛みは、確かにあったんだ」と認めるところから始まります。
誰にも分かってもらえなくても、否定されても、あなたの感じた理不尽や悲しみは、ちゃんと真実。
無かったことにされていいものなんかじゃありません。
「私はおかしくなかった」と自分の感覚を信じ直す行為――
それこそが、正気を保つための祈りなんだと思います。
あなたの心が、誰にも掻き消されることなく、自分を取り戻せますように。
そして、
誰かを裁きたくなってしまっても構わないので、それでもその先には、自分の人生を生きるための光を取り戻せますように。

